Category Archive: Business Communication

ゴマがすれないんです。

なんでおべっかを使うことをゴマをするというのでしょうか。ゴマをする仕草が商人がお客様に手もみをしてお願いをするのに似ているせいという説もありますが、真相はわからないそうです。ゴマをすって食材にすると、よりコクが出ておいしくなるので、お客様を喜ばせるという意味で最初は使われていたのではと僕は思っています。が、しかし・・・・・僕はゴマがすれません。すれるすれないではなく、しなきゃいけないんだよと、大人な方々の言い分は頭では理解できるのですが。誰も好き好んでやっているんじゃないよと仰る気持ちもわかりますが、そもそもどう練習すればごまが上手にすれるようになるのか、わかりません。ネットで検索すると、こうすれば出世する上手なゴマのすり方とか出てきますが、自分がもしその通り実践してゴマすりで「あ、そういえば、使ってるバッグ同じでしたね。憧れてると自然と似てしまうんですねぇ・・・」なんて言おうものなら、自分で爆笑してしまうの間違いないです。だっせ~、おめーと一緒のバッグかよ!とか、更に余計なことまで言ってしまいそうです。

アメリカのビジネス場面では、実はこの「ゴマすり」を耳にすることがあります。大抵実力のない人のあがきです。アメリカでは勿論、Grinding sesame seedsとか言いません。非常に忌み嫌われる汚い表現をされます。なんと・・・・”Kissing somebody’s ass hole”です。尻穴を舐める行為と一緒だというのです。そういうフェチがある人は別として、それほど軽蔑される行為ととられています。でもする人はいます。そうでもしなければ生き残れない哀れな人だから、一度くらいは見なかったことにしようと思われます。これを年中やってるアメリカ人は勿論嫌われるし、第一、実力ないので会社に残れるわけがありません。別の表現ではBrown Noseするというものがあります。これは、相手のお尻に顔をつっこみすぎて鼻がお尻の穴に入り込み、うんちで茶色になっているという意味です。英語とはなんと下品な言語なのでしょうか。それほど、ゴマすりが軽蔑される行為と思われているという証拠でもありますが。

問題なのはゴマをすれと要求しているようなことを日本から来た方がアメリカ人従業員に知らず知らずのうちにしてしまうことです。

NHK Worldという国の広報TVチャンネルがあり、英語での放送で海外で見ることができます。その中に、Cool Japanという鴻上なんとかという人が司会をする番組があり、在日外国人を集めて、日本のいいところを見てもらい「褒めて」もらうという番組です。日本ってなんてCoolなんでしょう・・・・と言って欲しいわけです。白人が日本人の尻穴を舐める真似をするのは滅多にないので、僕は喜んでこの番組を見ますが、まさかNHKは白人達にそんな屈辱的なことを強要しているとは思っていないでしょう。日本の良さをわかってもらおうと、いいことをしているんだと、きっと満足しているに違いありません。が、しかし・・・・

日本にわざわざ来て住んでいる人たちが日本の良さがわからないわけないのです。それを改めて、これはどうだ、あれはどうだ、Coolだろ、凄いだろ褒めろよと言っているのは、それこそ尻穴舐めろと言っているのと同じです。番組に参加している欧米人がどんな事情や理由があるかわかりませんが、普通は一回くらいしてあげてもいいけど、何回もお世辞を言うなんてことは彼らのプライドが許しません。それこそ日本政府の工作員でもなければやらないと思います。随分ちゃちな工作員だなぁ・・・・CIAとは大違いです。

日本の親会社からアメリカに出向してきた方が暇になると(実力ないのでやる仕事がなくなり、大抵暇になります。)、アメリカ人従業員に余計なことを話し始めます。日本というのは~、侍というのは~、日本の生産技術というのは~、品質管理というのは~・・・・アメリカ人従業員にゴマすりを期待するような真似はけしてしないでください。実力でお互い勝負しましょう。

Brian Moriguchi

ビジネス英会話:Magic Words2

How about bringing a couple of staffs in to finish this project?

仕事上問題が生じたときに感情的になって、What’s going on? Who’s responsible for this? How could this happen?等、negativeな表現を取っては関係者のやる気を削ぐだけです。問題が生じたら、必ずSolutionを提案しましょう。How about ~ingと、Actionを提案するよう心がけてください。

I believe this could work.

誰かの提案や企画、Solutionに対して、批判されることはよくあります。Could this work? と懐疑的になってはうまくいくものもいかなくなります。I believeと自分や誰かの案の実行に対する信用を表現しましょう。俺はやるぜとわからせれば、他の人たちも、じゃ、俺もやるかという気になるものです。

No

時にはNoと言わなければならないこともあります。Diplomaticになることも大切ですが、状況によってはMaybe、Not sureとお茶を濁さず、悪いアイデアにはNoと言わなければならないときもあります。

Yes We Can.

オバマ大統領の選挙スローガンで有名になりましたが、このフレーズには、意見や方向性が違っても、団結して共通の目標を達成(敵を倒そう!)させよう!という覚悟があります。したがって軽はずみに使うフレーズではありませんが、非常にPowerfulな響きがあります。使う立場、状況、聴衆をよく選ばないと失笑されます。

Brian Moriguchi

ビジネス英会話:Magic Words

ビジネス場面で抑えておきたい基本的な英語のフレーズです。

 

Let’s do it!” 「やりましょう!」

Enthusiasm、熱意を伝えないと誰も相手にしてくれないのは世界共通のことだと思います。アメリカのビジネス場面ではこのフレーズを上手に使いましょう。簡単ではありますが、大変重要なフレーズです。気持ちを込めて言う言わないでアメリカ人の態度に大きな差がでます。

 

On the other hand…..” 「その 一方・・・・」

ビジネス会話の中でBalance をとるのも大切です。この切り出しをつけるかつけないかで、反論や疑問点が聞き入れられるかどうかに大きな差がつきます。

 

Thank you.” Looking at his eyes with respect

Respect、敬意を表すことは人として大切なことです。ビジネス場面でも気持ちをこめてはっきり言えるかどうかでその後の印象や対応に差がでます。

 

 

Yes, that’s a fantastic idea, but in this situation…..” 「ええ、本当に素晴らしいアイデアですね。でも、こういう状況では・・・・」

Diplomatic、外交的な表現を使うのは大切なことです。On the other handと同じように、相手の言い分を評価することが、こちらの違う見方や批判を聞いて貰えるかどうか、大きな差をつけます。

 

Brian Moriguchi

日本人の問題解決へのアプローチ

日本型の経営方式・作業方式ではMeetingというものが存在しません。会議はありますが、それは村の親分格がよっぽどのことがあって開催するものです。毎日毎日しなければならない作業で埋まっており、田植えや収穫の手を休んで村の集会所に集まるなど繁忙期は通常ありえません。会合を開くのは田植えを始める前か収穫が終わったあとの儀礼的な会合か、台風で稲が被害にあったときに召集するなど非常事態です。そういう非常事態もないのに召集される(会議)としたら、作業員の誰かが粗相をして罰せられるくらいしかありません。日本の会社で会議があると、みんな下を向いて黙っているのは、とばっちりが来ないようにとひたすら早く会議よ終わってくれと祈っているからです。その会議の時間が長ければ長いほど作業進捗が遅れていくのですからたまったものではありません。飲み屋で上司の愚痴を言いたくなるのもわかります。

欧米と違い、日本では会議は儀礼的なものであり、課題を示したり問題解決法を議論するところではありません。問題=誰かが粗相をしているという考え方になるわけです。長い間作り上げられてきた作業方法なので誰がやってもできるようになっている筈という前提があります。そこに問題があるとしたら人的サボタージュしかないという結論になってしまうのです。会議で問題を提議するのは、作業員の誰かを誹ることと同じ意味になってしまいます。したがって日本では欧米式のMeetingは非常に敬遠されることになります。

では日本ではどうやって問題解決しているのでしょうか。

日本式On the Job Trainingでは先輩が新人の隣に座ります。その先輩の隣には更に古株の先輩が座っています。その古株の先輩の隣には課長やら部長やらが座っているのです。そうしてお互いを監視しています。別にあら捜しをするわけではありませんが、間違いがないようにお互いの作業法や手順を横目で見ているのです。一旦、Irregularなことが起こると、先輩がその場で新人に替わって対処します。そうして問題が小さな芽のうちに解決してしまうのです。つまり問題になる前に処理してしまうのです。この詳細が必ずPDCAによって少なくとも縦の組織命令系統に報告されます。また気の利いた組織では組織の水平にも報告が行きます。したがって、日本では問題のないオペレーションが日々運営されているのです。こんなことは世界中見回してもありえないことです。

オペレーションに問題がないのでProjectが不要になるのです。Projectを遂行するMBAなんかを振りかざす欧米式のProject Leaderも不要になります。来ても居場所はないでしょう。面倒くさいなぁと村八分になるだけです。

そんな世界に比類ない品質を作り上げる日本社会も、過去に何度かCatastrophicな歴史的転換点を迎えたことがあり、その度に新しい「欧米的なリーダーシップ」が求められたりしたこともあります。古くは源頼朝、足利尊氏、織田信長、幕末の志士、戦後の経済界のリーダー(本田宗一郎、盛田昭夫等)等です。特に戦後は製造業でDr. Edwards DemingのQuality Controlの手法がいい意味で「崇拝」され、日本の高度経済成長を支えました。1950年代初頭、復興をいかに遂げるか苦心していた日本経済界に、欧米式リーダーシップを枯渇する雰囲気があったのだと思います。

20年に渡るデフレ時代を脱却するべく成長の時代を作り上げようとしている今の日本に、果たして欧米的なリーダーシップが求められているかどうかは、僕にはわかりません。日本での欧米式リーダーシップの需要は、実は今までの権力を破壊するときの口実に使われるだけで、その後の仕事のやり方は実は、以前と同じだったりすることもあります。日本の長所はあくまでも稲作型の集団体制にあるのですから、それを破壊してしまっては元も子もありません。日本では世代交代を促進するときに欧米式リーダーシップが求められることが多いのかもしれません。

 

Brian Moriguchi

日本の稲作農耕型経営

日本で働いていらっしゃる方々は、自分たちが世界を見回してもいかに特異なスタイルで働いているのか、気がついていないと思います。世界のほとんどの国では、前に説明したように狩猟型で仕事がなされます。江戸時代末期まで日本の人口の8割が農民だったと言われます。第二次世界大戦終了時の農業従事者比率でも50%です。農作業や農村での暮らしが戦後の日本の職場のあり方に深く影響を及ぼしていても不思議はありません。

かつて機械化される以前の典型的な日本の農村での作業のあり方は、僕の推測では以下のようだと思います。田植えの時期になると、村の青年会が集まり、どこの田んぼから田植えをするか決めます。機械化されていなかった時代、自力で広い畑や田んぼで作業するのはほぼ無理だったと思います。村の若い衆が集まり、田んぼに誰とはなしに一列に並び、田植え歌を歌いながら拍子をとりシンクロさせて苗を等間隔で植えていきます。等間隔で植えていけば、いびつな形の田んぼでも、収穫量を最大化することができます。肥料を撒くときも集団でこのようにSystematicに行えば、田んぼの場所によって栄養が偏ることもありません。

田植えのとき新入りの若造の両隣にはベテランがいて、両方から新入りの作業が監視されます。少しでも苗の植える位置が違うとその場で指摘されます。日本式のOn the Job Trainingの原型です。隣に座っている先輩社員がほぼ一日中新入社員の仕事ぶりを監視し、その都度注意・指示をします。すべて口頭で行われ、そこにマニュアルは存在しません。一つ一つのことはマニュアルに書くほどのことではありませんし、作業のやり方が改善方式でころころ変わることがあるので、マニュアルを書いてる暇などないのです。

この集団による田植えや稲刈りが、今日は甚太郎さんの田んぼ、明日は朔太郎さんの田んぼと順々に進みます。すべての作業員がすべての仕事を共有し集団で行っていきます。ここに日本式集団体制組織の原型があります。日本ではお客様が電話をかけてくると、社内、少なくともその部課の電話が一斉に鳴るようになっているところが多いですが、それはこの日本式集団体制のなごりと言っていでしょう。すべてのお客様を全員で担当しているのです。

この集団体制に、実はリーダーは不在で不要です。欧米式のリーダーは不要なのです。誰もが作業のやり方を知っており、わからなければ先輩に前もって教えてもらうのです。手順もすべて決まっています。それを習熟できるかどうかが一人前になったかどうかになります。使う道具も決まっています。鍬、鋤、鉈、何十年、何百年も使ってきた同じ道具です。問題はどこだ、俺が解決してやるという欧米式リーダーシップは、厄介なだけなのです。少なくとも作業員の間では最善の方法が確立されており、その改善は常に行われていますが、根底から覆すような欧米式Projectによる変革は、その村自体が崩壊するときでもない限り、受け入れられません。作業結果は既に決まっているのです。一反から収穫できる米の最大量は決まっているのです。それを実現する作業法も決まっていて、それが習熟できることが重要な世界です。一反の収穫量をもっと上げようとする研究は不要とされます。既に最大化されているという認識なのですから。

日本の村にも村長さんや長老、庄屋という親分格がいましたが、作業現場は取り仕切りません。逆に現場に行くと作業員が気にするのでなるべく行かないのです。ほぼ隠居した人たちがこの名前だけの親分格をやるわけです。仕事といえば、普段は、国主に仕える代官様が無茶を押しつけてこないように、接待してご機嫌取りをしているだけです。これがかつての日本の大企業によく見られた部課長さんたちでした。今は知りませんが・・・・勿論、村存続の危機とあらば、この親分たちが集まり村中をまとめて勝負に出ます。黒澤監督の「七人の侍」にでてくる村の長老とか、忠臣蔵の大石内蔵助がイメージとしてその良い例です。普段のんびりしているように見えても、やるときはやる覚悟はされていました。そもそも人生50年の時代だったので40にもなればもうそろそろ引退の時期だったのです。

このような集団体制なのでトップダウンしようにも欧米式のトップがいないのです。ボトムアップ方式が最善であり、それしか方法がないのです。

Brian Moriguchi